税理士の四方山話 その3

所長税理士として日常業務で感じたこと、業界のマニアックなこと、その他について徒然書いています。

・遺言や遺産分割協議の不要な相続財産

・怒ってません!

・「年度」のお話し

遺言や遺産分割協議の不要な相続財産

 誰かが亡くなると多くの場合には財産が残されます。財産には、銀行預金、土地家屋、現金、株券や国債、宝石など、様々な種類があり、それら財産は相続人に引き継がれることになります。

 相続税の申告等には関係のないケースでも、相続人が二人以上存在する場合には、残された相続人同士で遺産をどうやって分配するかの話し合いをする必要が有ります。また、この話し合いに先駆けて財産の調査や評価も必要で、それらを一旦話し合いのテーブルの上に並べ、どれを誰に引き継ぐかなどの話し合いが必要で、すぐに相続人が財産を貰える訳では有りません。

 また、前の記事にも書いたように、金融機関では、預金者が亡くなった場合には、第三者による引き出し防止などのため口座を凍結し、相続人等がこれを解除するまで誰も受け取ることが出来なくなります。

 この点で便利なのが生命保険。生命保険は契約する際に、誰を受取人にするかを契約者本人の意志で指定することが出来ます。なので、亡くなった方が誰に保険金を渡したかったのかが保険会社という第三者を通じてハッキリしていますから、死亡の際にも手続きさえ済ませれば、直ぐに契約上の受取人に保険金が支払われ、相続に伴う資金難を乗り越えやすいと言う一面があります。特に個人事業を営んでいる様な方の場合、預金を凍結されると大変なので、銀行預金等と生命保険を上手に組み合わせるのも一方策でしょう。

 なお、生命保険は受け取る際の連絡が付きやすいなどの条件も併せ、契約する時は商品だけでなく代理店や担当者の信用度も重要、金融商品はきちんと理解し、上手に利用したいものですね。

H30.6月FACEBOOK投稿より

怒ってません!

信用金庫の当事務所担当者の方との会話。

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 信金「6月中に異動の辞令が出なかったので、多分あと一年間は先生とお付き合い出来そうです。」

私「それはそれは!では一年間、引き続き宜しくお願いします。ところで、辞令って皆さんこの時期に出るものなのですか?」

信金「お客様担当は7月10日付けで異動になることが多く、他にも4月と10月に異動がある部署があります」

私「なるほど!それは部署毎に決まりがある?」

信金「担当職種別だと思います」

私「ほ~!それは入社条件や就業規則にも記載されている?役職者等は?役員任期は?事務年度と年度とで使い分けている?新人研修も三ヶ月間?国税の事務年度との関係は?ところで、そもそも金融機関にとっての『年度』って?」

信金「・・・??」

私「おっとと!ごめんなさい!自分で調べてみますね」

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 と、言うように、私は子供の頃から興味を持ったものに対し「なんで?」「どうして?」と、つい相手を質問攻めにする癖が有るらしく、怒っているなどと勘違いされたりすることがあるのですが、興味以外の感情はありません、念のため。

 と、言うことで「年度」について調べてみました。すると、、、、

H30.7月FACEBOOK投稿より

「年度」についてのお話し

 そもそも「年度」とは、暦年とは別に、特定の目的のために規定された1年間の区切り方をいうもので、その目的の種類だけ年度も存在します。なので、目的に合わせて時期の切り方が変わる、と言うことまでは今までも理解してきました。

 ちなみに、年度には、会計年度、学校年度、農作物年度(いも年度、大豆年度、穀物年度、小麦年度など)、酒造年度などがあり、それぞれの目的に合わせて利用されていますが、単に「年度」と言うと4月から翌3月の行政年度を言います。

 それでは、どうして国税の事務年度や金融機関の人事異動は7月から6月の一年間?そもそも日本の行政年度が4月から3月なのは何故?と、次々興味や疑問がわいてきます、よね?そんなことに興味を持つ奴は、まさか私だけ?と疑問はあれど、調べてみたら「なんだかなぁ~!」の歴史に行き当たりました。

 日本の年度
1,明治初期の会計年度
 日本の行政制度が整ってきた明治時代、大蔵省の会計年度は7月から6月と定められていました。これは明治6年から始まったようです。

2,赤字隠しのため会計年度を変更
 7月から6月、と言う日本の会計年度は10年間続きましたが、明治15年に朝鮮で起きた反乱により、海軍の軍備拡張のため年度途中でその年度の予算を使い果たしてしまい、政府は赤字財政になってしまいました。それを国民に隠そうとした官僚と、それに乗せられた松形大蔵大臣は一計を案じたと言うわけです。
そのときの日本の財政赤字は年間予算の12分の3だったため、それまで7月から6月だった会計年度の最後の三ヶ月分を繰上計算し、翌年以降も隠蔽し続けるため、4月開始の会計年度に変えてしまった、と言われています。これが今まで続いている、ということは日本の財政は明治以来ずっと三ヶ月分ずつ粉飾を続けてきている、とも言えそうです。

3,日本の学校が4月入学になった理由
 日本の「学校年度」は4月から3月であり、世界中の殆どの国と違っています。こうなった理由は簡単で、単に会計年度に合わせたから、と言われています。
ちなみに多くの国の学校年度は9月から8月なので、日本の一部の大学等で、それに併せて交換留学に役立てようというような試みも始まっています。

 現代の会計年度や学校年度が明治時代の国家財政の「赤字隠し」から始まったものだと言うこと、不覚にも私は知りませんでした。知らないことが世の中にあるうちは、勉強や調べ物は、辞められません!

H30.7月FACEBOOK投稿より

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